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2006年1月30日 (月)

5.『相続』というか『争族』の話を少し。

今日は少し『相続』というか、『争族』の話をしましょう。

   
ホームページでご紹介したり、お手紙でもお送りしてますが、

  「そういう私自身も、学生時代に祖母が亡くなりました。母が様々な手続きを
   取っていましたが、1人では二進も三進もいかずに疲れ果てていました。

   さらに遺産相続の話し合いの際に、親族間で争いが生じ、それ以降は
   音信不通になるという、最悪の事態に発展してしまいました。」 
  
という文章は、私自身の本当の話です。

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 相続というのは本当に個別性が強くて、誰にも相談できないんだなぁ

 というのが、正直な感想でした。

  

   ・・・10年ほど前、母方の祖母が亡くなりました。
   祖父は戦死したと聞いていました。
   祖母は女手ひとつで、母と伯父(母の兄)の2人を育てました。
   裕福ではありませんでしたが、仲良く暮らしていたそうです。
   伯父には少し障害があったので、祖母も母もかなり苦労したようです。
    
   伯父も母も、それぞれ結婚し、伯父は祖母と同居し、私たち家族は
   祖母の家から車で40分くらいのところに家を買いました。
    

   小学生低学年の頃の記憶なのではっきりしていませんが、2つだけ、
   本当にはっきり覚えていることがあります。
  

   母と私が祖母の家に遊びに行くときは、祖母だけしかいませんでした。
   そして母は、必ず近くの大型スーパーで、祖母の下着を買っていました。
  

   祖母が亡くなったときは、住んでいた土地と家、そして少しですが
   貸家がありました。その名義変更や、分割協議、様々な手続きは、
   もちろん20歳の私には、母は相談してきませんでした。
   でも、仕方なく1人でいろいろ手続きをしていました。
    
   その頃、電話で、とても信じられないやりとりをしていました。
   もちろん相手は、伯父と伯父の奥さんでした。
   祖母の面倒を見ていたのは、伯父と伯父の奥さんでしたし、
   母は結婚して家を出てしまったから、そんなに強くは言えないのですが、
   母の手元には、何も残らなかったようです。

 
   私自身、母に何もしてあげられなかったこと、悔やまれますし、
   祖母の死からは、誰も伯父のところには行かなくなりました。
  

   母は、祖母の家からの帰り道、小学生の私にこんな話を私にしてくれました。
   「私(母)が小学生の頃は、おばあちゃんが遅くまで働いていたから、
   すごく寂しくてね。お兄ちゃん(伯父)も体が不自由だったから、ね。
   いつも、おばあちゃんの会社の前で、仕事が終わるのを待ってたんだよ」
   なぜか、私は涙が止まらなかったことを覚えています。


   ・・・このあと、実は、まだ続きがあります。
  
   ちょっと、思い出してしまったので、目がウルウルしてきちゃいました。
   すみません。

   祖母の下着をいつも買っていた母も、最近少し、背中が丸くなってきたので、
   たまには様子を見に実家に帰ろうかな、なんて、思ってしまいました。

 
    

         

  

 

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